国土交通省が発表した令和7年6月の建設工事受注動態統計調査報告は、日本建設市場の現状と今後の方向性を示す重要な羅針盤です。長年、大手ゼネコンで大型新築工事の設備長として業界の最前線に立ってきた私の視点から、この最新データを深掘りし、その裏に隠された意味と、今後の建設業界が直面するであろう課題、そして新たなチャンスについて考察します。
この報告書は、単なる数字の羅列ではありません。そこには、経済の脈動、社会のニーズの変化、そして私たち建設業界がどのようにそれに応えているかの物語が凝縮されています。特に、元請受注の力強い伸びと、下請受注の継続的な減少という二極化の傾向は、業界構造の変化を示唆しており、今後の戦略を練る上で見過ごせないポイントです。

全体像:市場は回復基調も、構造変化の波が加速
令和7年6月の建設工事受注高は、全体で11兆2,056億円に達し、前年同月比3.3%増と3ヶ月ぶりに増加に転じました。これは、市場全体が回復基調にあることを明確に示しています。特に、元請受注高が7兆8,168億円(前年同月比11.4%増)と9ヶ月連続で増加している点は、業界の活況を象徴する数字と言えるでしょう。
しかし、この明るい数字の裏で、下請受注高は3兆3,888億円(前年同月比11.6%減)と3ヶ月連続の減少を記録しています。この元請と下請の明暗は、現在の建設業界が抱える構造的な課題を浮き彫りにしています。すなわち、元請企業への仕事の集中と、サプライチェーンを支える下請企業の受注機会の減少という問題です。これは、サプライチェーン全体の健全性を維持する上で、今後真剣に取り組むべき課題です。 [1, 3, 4]
元請・下請の明暗:二極化が進む業界構造を読み解く

▶ 元請受注の力強い伸び:公共・民間両輪での力強い牽引
元請受注高の増加は、公共機関と民間等の両方からの受注が牽引しています。公共機関からの受注は2兆3,307億円(前年同月比8.0%増)と7ヶ月連続の増加、民間等からの受注は5兆4,861億円(前年同月比12.9%増)と9ヶ月連続の増加を記録しました。これは、政府のインフラ投資や、企業の設備投資意欲の回復が、建設需要を力強く押し上げていることを示唆しています。
特に民間からの受注では、建築工事・建築設備工事(1件5億円以上)が1兆7,527億円(前年同月比30.5%増)と大幅な伸びを見せています。これは、オフィスビル、商業施設、そして半導体関連などの工場といった大型プロジェクトが活発に動いている証拠であり、経済活動の本格的な再開が建設投資に直結している状況がうかがえます。
▶ 下請受注の課題:中小企業の岐路と生き残り戦略
一方で、下請受注の減少は、多くの中小建設企業にとって厳しい現実を突きつけています。元請企業が内製化を進めたり、特定の協力会社に仕事を集約させたりする傾向が強まっている可能性が考えられます。このような状況下で、下請企業は、他社にはない専門性を磨き上げる、ニッチな市場を開拓する、あるいは元請企業とより強固なパートナーシップを築くなど、新たな生き残り戦略を早急に模索する必要があります。
また、依然として続く資材価格の高騰や深刻な人手不足も、下請企業にとっては大きな経営負担となっています。 [2, 5] これらのコスト増を適切に受注価格に転嫁できるかどうかが、企業の存続に直結する重要な局面と言えるでしょう。
公共機関からの受注:安定の中に潜む変化の兆し

公共機関からの受注工事(1件500万円以上)は、全体で2兆2,300億円(前年同月比1.7%増)と堅調に推移しています。特筆すべきは、「地方の機関」からの受注が1兆8,125億円(前年同月比3.4%増)と6ヶ月連続で増加している点です。これは、地方自治体が地域経済の活性化や防災・減災対策として、地域に根差した公共事業を積極的に進めていることを示しています。
地方自治体の役割拡大:地域密着型プロジェクトの活発化
市区町村による「教育・病院」関連工事(4,185億円)や「道路工事」(1,333億円)の受注額が大きいことは、住民の生活に直結するインフラ整備や公共施設の改修・新設が活発であることを物語っています。これは、地域経済への貢献だけでなく、住民サービスの向上にも繋がる重要な動きです。
国の機関の動向:戦略的投資へのシフトチェンジか
一方で、「国の機関」からの受注は4,175億円(前年同月比5.3%減)と3ヶ月連続の減少となりました。これは、国の公共事業が、網羅的な大規模インフラ整備から、より戦略的かつ効率的な投資へとシフトしている可能性を示唆しています。例えば、インフラの老朽化対策やデジタルインフラの整備など、特定の重点分野に投資を集中させているのかもしれません。
民間等からの受注:経済回復を牽引する成長エンジン

民間等からの受注は、日本経済全体の動向を色濃く反映しており、まさに成長の牽引役と言えます。特に、建築工事・建築設備工事の活況は、企業の旺盛な投資意欲と、そこから生まれる新たなビジネスチャンスの創出を示唆しています。
建築工事・建築設備工事の活況:オフィス、住宅、工場が需要を牽引
民間建築工事では、「事務所」(4,942億円)、「住宅」(4,273億円)、「工場・発電所」(3,842億円)が主要な牽引役となっています。働き方の多様化に伴うオフィス需要の変化や、高品質な住宅へのニーズ、そして半導体工場をはじめとする国内製造拠点への回帰投資が、これらの分野の成長を後押ししていると考えられます。
土木・機械装置等工事の多様なニーズ:インフラと産業の未来を築く
土木工事及び機械装置等工事も、1兆816億円(前年同月比24.0%増)と堅調な伸びを見せています。「機械装置等工事」(5,843億円)が最も大きく、製造業や電気・ガス・熱供給・水道業からの受注が目立ちます。これは、産業のデジタル化や省エネ化、カーボンニュートラルに向けた設備投資が活発であることを示唆しています。
今後の展望と乗り越えるべき課題:持続可能な成長への道筋
令和7年6月の統計は、日本市場が力強い回復と成長の軌道に乗っていることを示しています。しかし、この成長を持続可能なものにするためには、業界全体でいくつかの重要な課題に真摯に向き合う必要があります。
- 【課題1】 人手不足の深刻化と人材育成
高齢化による技術者の引退が進む中、若手人材の確保と育成は待ったなしの課題です。 [7, 11] 働き方改革の推進や魅力的な労働環境の整備が急務となります。 - 【課題2】 資材価格の高騰とサプライチェーンの強靭化
依然として高止まりする資材価格は、企業の収益を圧迫します。 [2] 安定的な調達網の確保と、コスト増を適切に価格転嫁できる商習慣の定着が求められます。 [12] - 【好機1】 建設DX(デジタルトランスフォーメーション)の加速
生産性向上と競争力強化の鍵はDXにあります。 [8, 9] BIM/CIMの活用、AI、ロボット技術の導入を積極的に進め、より効率的で安全な建設プロセスを確立する必要があります。 [13, 15] - 【好機2】 気候変動への対応と新たなビジネスチャンス
脱炭素社会の実現に向け、建設業界が果たす役割は極めて大きいです。ZEBやZEHの普及、再生可能エネルギー設備の導入は、環境貢献と同時に新たな事業機会を創出します。 [18, 23, 24]
まとめ:未来を築く建設業界へ、今こそ変革の時

令和7年6月の建設工事受注動態統計は、日本建設業界が力強く前進していることを示唆する明るいデータです。元請受注の好調は、経済活動の回復と社会の多様なニーズに応える私たちの業界の底力を証明しています。
しかし、その裏で進む下請企業の受注減少や、業界全体に共通する人手不足、資材価格高騰といった課題から目を背けることはできません。持続的な成長のためには、これらの課題に果敢に挑戦し、DX推進や環境対応といった変革の波を乗りこなす必要があります。
私たち建設業界は、単に建物を建てるだけでなく、社会の未来そのものを築く重要な役割を担っています。この統計データが示す現状を深く理解し、未来を見据えた戦略を立てることで、より強靭で持続可能な建設業界を築き上げていけると確信しています。
この記事が、皆様の今後の事業戦略の一助となれば幸いです。
建設業界の未来を、共に考え、行動していきましょう。